1556年創建。歴史豊かな「行ずる寺」
「北陸の小京都」として知られる大野は、約400年前、織田信長に仕えた武将・金森長近によってつくられた城下町。中心部の丘には大野城がそびえ、そのふもとには碁盤の町割りが今も色濃く残っています。都市景観百選や美しいまちなみ優秀賞に選ばれており、七間通りに毎日開く朝市は、400年以上も続き、大野の名物です。そんな風情あふれる町の東端に寺町通りがあり、南北に十六カ寺整然と並んでいます。
圓立寺もその一角。日蓮宗・真應山圓立寺と呼び、弘治二年(1556)の創建。もと土橋の庄にありましたが、城下町建設(天正四年・1576)の際、現在地に移転しました。代々領主(青木・織田・松平直政・直基・直良・直明・土井利治)の帰依厚く、祈願所となり、殊には松平直良(福井藩主松平秀康の六男)の菩提寺でした。大曼荼羅御本尊を勧請し十界皆成の諸尊を安置、また仏法の守護神として、鬼子母神・大黒天・七面大明神、清正公(松平直良の守り本尊)を祀る。特に鬼子母神は、父子三代大荒行壱千八百日の全国稀な力ある尊神として慕われています。
日蓮宗には自己を高めるための行、百日の大荒行があり、第三十世日泰上人は五回成満(大正天皇の御祈祷に宮中へ参内)、三十二世日稔上人は八回成満、全国数カ所結社を設立するなど、世に秀でた験者(祈祷修法師)でした。 現住職・三十三世日久も五回成満。伝統をつなぎ、祈祷道場として布教活動を展開。地元では圓立寺と言えば「御祈祷の寺」「修行の寺」「水かぶりの寺」として知られています。